修行僧の間で代々受け継がれてきた精進料理。「点心庵」のけんちん汁

北鎌倉にある建長寺の門前にたたずむ「点心庵」は築100年以上の古民家を利用した食事処。こちらの看板メニューでもある「けんちん汁」は、建長寺から門外不出の伝統の味を受け継いだ、建長寺公認の味とのこと。どのようなけんちん汁なのか、料理長にお話を伺いました。

丸窓の坐禅堂をしつらえた風情のある日本家屋

うっそうと生い茂る木々の向こうに明かりを灯す点心庵。大きな屋根に守られるようにして立つお屋敷風情の建物に入ると約30畳の畳敷きの大広間が広がり、軸の掛かる床の間やモミジやイチョウが切り取られた欄間など、奥ゆかしい日本の情緒が漂います。さらに奥へ進むと丸窓のある坐禅堂があり、食事の前や後で坐禅を組むこともできるそうです。

店名の点心庵は建長寺の吉田正道老大師によって命名されたもので、店内には吉田老師の書も数多くかけられています。さらに、坐禅堂には建長寺と同じ坐禅用の二つ折り座布団が敷かれるなど建長寺に由来するものが多く見られます。

  • 広間の木枠の窓からは建長寺総門が見える

  • 静かな坐禅堂

  • 坐禅堂から見える苔むした庭

  • 吉田正道老大師の書

「けんちん汁」発祥の建長寺。その文化を広める

点心庵の看板メニューがけんちん汁。なんでもけんちん汁は建長寺発祥の精進料理なのだとか。点心庵では建長寺伝統の味を受け継ぐ形で提供しています。

今では一般的な家庭料理となっているけんちん汁ですが、厳しい禅寺の中だけで伝承されてきた文化の一つでもあると言われています。その文化、そして心を広く知ってもらいたいという思いから、建長寺で食されてきたけんちん汁を点心庵で提供することにしたのだそう。

鎌倉五山第一位の臨済宗・建長寺派の大本山でもある建長寺は1253年に五代執権北条時頼が宋から蘭渓道隆という僧を招いて開山したお寺で、日本最初期の禅専門道場としても知られています。ここでは厳格な修行が行われ、その厳しさは掃除の行き届いた様子を「建長寺の庭を竹ほうきで掃いたようだ」という俗語があるほどです。

そんな建長寺で修行僧の食事として出されていた、ゴボウやダイコン、サトイモなどをゴマ油で炒め昆布や椎茸でとった出汁で煮る精進料理が「建長汁」。それがいつしかなまって「けんちん汁」と呼ばれるようになったそうです。豆腐を手で崩して入れるのも、食事当番の小僧さんが誤って落として崩れた豆腐を入れたことがきっかけといわれており、点心庵でもそのスタイルをそのまま受け継いでいます。

  • 春は桜、初夏のアジサイ、秋の紅葉など四季折々の自然の移ろいも華やかな建長寺(天下門)

修行僧の感覚を頼りに試行錯誤しながら格式のあるお寺から受け継いだ味

点心庵のけんちん汁は、その味を知る建長寺の修行僧や檀家さんから直接教わることでつくられていきました。

「濃い」「少し甘い」といった感想を頼りに、食材や調味料、調理法などを吟味し、思考錯誤を重ね、完成までには3カ月もの時間を要したといいます。

  • オーダーごとに小鍋に入れて火加減に注意しながら丁寧に温める

禅の道にも通じるシンプルな料理への気遣い

以前はイタリアンのシェフをしていたという料理長。建長寺に伝わるけんちん汁の味を求め試行錯誤するなかで、味の足し算であるイタリアンに対し、精進料理は余分なものを削ぎ落して素材の旨味を大切にする引き算の発想で進めていく料理であることに気が付いたといいます。

また、精進料理はその料理工程もとても繊細なもの。大きな鍋でまとめて作ると鍋の上層部と下層部では味が違ってしまうため、60ℓほどの寸胴を何個も用意して分けて作り、味がなじむよう前日に仕込みをしておくのだそう。1つ1つの素材の形を美しく見せることも重要で、かき混ぜる時にも柔らかく煮たダイコンの形が崩れないように気を付けなければなりません。

シンプルな素材を引き立て、すべての工程に細やかな心遣いを込める精進料理。それは禅の道に通じるものなのかもしれません。

  • ゴボウとニンジンはささがき、コンニャクは茶碗の高台で一口大にちぎるなど、味がしみこみやすく食べやすい工夫がされている

建長寺の教えを肌で感じながらいただく精進料理

けんちん汁をいただく器にも心が込められています。鎌倉彫作家・三浦鎌幽氏による漆器が用いられ、正面には吉田老師の筆による「而今(じこん)」(一瞬一瞬を大切に生きていく)あるいは「百祥(ひゃくしょう)」(たくさんの幸せが訪れる)の文字を見ることができます。

さらに箸袋の「應供」(具されるにふさわしい者)の文字も吉田老師によるもので、内側には「道業を成せんが為に頂くことを誓います」という意味の「食事五観文」の文言が書かれており、いただく時にも建長寺の教えを感じることができます。

筆者も禅の精神を感じながら、けんちん汁を味わってみました。想像以上に旨味たっぷり、ゴマ油の香ばしい香りとともに野菜の甘みも感じます。一緒に提供される塩むずびがよく合います。野菜の煮物とぬか漬けが添えられ、自然の恵みを存分に楽しむことができます。

  • 「而今」「百祥」が彫られた漆器

  • 各テーブルには鎌倉野菜とレモンを入れたデトックスウォーターが置かれ、箸袋の裏にもありがたい教えが書かれている

帰る頃にふと自然に気づく禅の心

広間の奥の坐禅堂は四季を映す円窓がある静かな空間です。ここで坐禅を組み、そして代々伝わるけんちん汁をいただくのは、厳しい禅寺の修業のほんの一部を垣間見るようなひとときです。

お寺とはまた違った角度から自然に「禅の心」に触れることができるのは、このお店の大きな魅力でもあります。

  • 広間の入口に掛かる軸。帰るときにはその意味がしみじみと感じられる

建長寺のエッセンスをプラスしたメニュー

最後に、けんちん汁のほかにも気になるメニューがありましたのでご紹介します。

建長寺の敷地の中では自家養蜂をしているそうで、点心庵では採れた蜂蜜を使用してプリンやカレーを提供しています。こうしたメニューにも料理長が精進料理を通して得た「マイナスの発想」が生かされ、素材の持つ味わいを最高の形で提供してくれます。点心庵に訪れたらぜひこちらも味わってみてください。

鎌倉という地の文化に触れ、地の味を存分に楽しめる点心庵。そこには、素敵な食の体験がありました。

  • ハチミツは「鎌倉蜂蜜」としてお土産にも最適

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