暑すぎる夏に鵠沼の昔を想う
今年の夏の暑さは格別ですね。たまに東京に出向くと、アスファルトの照り返しやエアコンの排熱を伴った尋常でない熱気に参ってしまいます。海風が吹き、緑が多く、砂地も残る湘南はまだ我慢できる暑さのような気がします。
東京都心部と湘南の気温差や、鵠沼近辺でも土地開発のスピードから、「緑が減る=気温上昇」を肌で感じています。森林や水田は、日射しによる熱を吸収したり、蒸散する作用により、気温上昇を抑えてくれます。そろそろ開発の波を抑えて、緑化に本腰を入れるべきでは。熱中症対策で「エアコンを使いましょう」はわかるけれど、その排熱でヒートアイランド現象が起きていると思うと、どうも腑に落ちないのです。
photo: Mitsuo Fujimoto
猛暑の期間は企業も長い夏休み、みんなもっと避暑地に出かけよう、8月はエアコン要らずの涼しい地域でサテライトオフィス、東京の屋上緑化を進めよう、コンクリートをやめて森を作ろう! こんなことが抜本から進んだら、少しは暑さを抑えられ、人々も緑に触れて気持ちよく過ごせるのではないかなぁと。
東京のオフィス街で働いていた頃は、窓からはビルしか見えないし、外に出てもコンクリートジャングル。エアコンは寒いくらいガンガン。激務期は会社に寝泊まりして、いつしかその環境に慣れてしまうのだけど、人間として大切なことを失って行くような生活でした。
今の自宅オフィスは、潮風が吹き込み、窓の外は本当のジャングル! 庭に生きる広葉樹の大木が室内に差し込む強い日射しを遮ってくれます。猛暑日はきついけれど、エアコンはほとんど使いません。自然の風と扇風機さまさま、ハッカ油スプレーでスースーしたり、熱帯夜には保冷剤とともに眠ります。近所には、海はもちろん、川や池も多く残されていて、暑さを凌げる場所がたくさん。
昔の鵠沼はどうだったのかな、と先日、夏休みの自由研究のように図書館に出かけて調べ物をしました。鵠沼南部は、大昔は海の底、土地の隆起により砂州となり、湿地となり、砂地になり。人が住み始めた頃は、だだっ広い砂丘だったそうです。現在、鵠沼を象徴する背の高いクロマツは、明治時代に別荘を建て、住み始めた方々が砂止めと緑化のために植えたもの。
鵠沼駅付近より南は海だった古墳時代(『ふじさわの大地』2002年 藤沢市教育文化センターより)
戦前、戦後昭和の鵠沼の風景を写した福地誠一さんの写真集を見つけました。昭和初期と、昭和58年(発行時)の鵠沼の町並みを同じ場所から写し、比較して紹介しているのですが、まるで別の場所のような変化に驚くばかりです。
「今のバス停 鵠沼車庫前あたりから西を望んだところ。五丁目から西は引地川の堤まで続く大水田で、春は蓮華草の花で埋まり、富士のシルエットが美しかった」。昭和30年頃の写真。現在ここにはパークハウスマンションが聳えている。(『福地誠一写真集 鵠沼の五十年』1984年 菜根出版より)
今も鵠沼界隈は高い建物は少なく、気持ちのいい地域ですが、どこからでも富士山を望み、沼や水田に鳥が行き交う鵠沼は、別荘を建てたくなるほど素晴らしい場所だったのでしょう。
湘南も東京も、人が集中すれば、利便性を求めて開発が進むのは当然のこと。けれども、元来ここにあった自然環境を破壊することが、気象変動につながっていると思うと考えさせられます。自分にできることは過去を知ること、学ぶこと、環境に配慮した行動くらいですが、地球への優しさを忘れずに、暑い夏を満喫しようと思います。
あの路地を曲がれば。〜雑誌編集者の鵠沼ライフ〜
鵠沼の自然を感じながら暮らす編集者が、
当コラムの執筆者、尾日向さんの発行しているスノーカルチャー誌
『Stuben Magazine』の公式ウェブサイトはこちら:http://stuben.upas.jp
ライター情報
尾日向 梨沙
編集者。東京都出身、藤沢市鵠沼在住。出版社勤務を経て、現在はフリーランスでウィンタースポーツを専門に取材、執筆。2015年に北海道ニセコの写真家とともにスノーカルチャー誌『Stuben Magazine』を発行。2019年より鵠沼の国登録有形文化財と周辺の緑を守る活動を開始。『松の杜くげぬま』管理人として様々なイベントを開催している
https://www.facebook.com/matsunomorikugenuma
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