故郷と重なる湘南・葉山のムード。恩返しは料理を通じて。〜 ニコラ・モローさん(シェフパティシエ)〜
湘南・葉山在住のシェフパティシエ、ニコラ・モローさん。彼はフランス・リヨン郊外の出身で、幼い頃から料理と親しんできました。その後数奇な運命を辿って来日し、以来パティシエとして活動。東京・銀座や表参道などにお店を出店し、「うさぎシュークリーム」が一躍人気メニューとなりました。
自身もテレビ番組に出演するなど多くの人々に認知されていますが、ニコラさんが地元・葉山にあるお店のメニューをプロデュースしていることはご存知でしょうか? 今回は来日までの経緯、そして葉山での活動に向けた想いと愛情を伺うべく、ご自宅で開かれているお料理教室の合間を縫ってインタビューを行いました。
来日17年目のフランス人パティシエ。日本を知ったきっかけは…?
――いつから、どういうきっかけで日本にいらしたんですか?
ニコラさん:
今年で日本は17年目です。私が子供の頃、母が毎年違う国のカレンダーを買ってくれたんですが、日本のカレンダーを買ってもらった時にすごく感動しました。桜、金閣寺、富士山などの写真を見て「なんて素敵なんだ」と思ったんです。いつか本物が見たいと思ってたんですが、そのときはリヨンから少し離れたところに住んでいて、父も母も海外に行くようなタイプじゃなかったので、(日本には)行けないかなぁと思っていたんです。
それからしばらく経って、98年に兵役に入ったんですが、そのときは日本とフランスの間で文化交流が行われていて、フランス国内でアートや折り紙などのイベントをやっていたんです。リヨンにある日本人センターの広場でもイベントをやっていたので、軍での仕事が終わった後に見に行ったんですよ。
ニコラさん:
そこで初めて日本人と会ったんですが、とっても親切でした。それに「週1回、1時間ぐらいの日本語講座があるよ」と誘ってくれたので行くことにしたんです。日本語講座には毎週行ってたんですが、初めて行った時は日本語が歌に聞こえたので「私も歌いたい!」みたいな(笑)。それで、軍の仕事をしながら日本語を勉強することにしました。
軍では99年まで仕事をしていたんですが、2000年から日本とフランスのワーキングホリデービザが出来たんです。それを知ってすぐに申請して、2000年1月に日本に来ました。たぶん、私はビザの第1期メンバーに入ってると思うんです。ビザが出来るまで毎月「ビザ出来ましたか?」「まだです」ってやりとりをしてたぐらいなので(笑)。
それで日本に来たんですが、もう(日本のことが)大好きになっちゃって。違和感がなかったんですよ、はじめてなのに「ただいまー」みたいな(笑)。17年でホームシックに1回もなったことがないんです。
ニコラさん:
最初は「横浜ベイシェラトン」で仕事をして、次は菊名のレストラン、それから有名なお菓子屋さんのパティシエをやって、「銀座ショコラストリート」のカフェメニューの開発担当をしました。そして、その時に知り合った人が「ニコラのお店を作ろうよ」って声を掛けてくれたのが「ニコラシャール」のはじまりでした。「うさぎシュークリーム」とか「うさぎパフェ」とか、あのキャラクターね(笑)。
銀座ではこだわりを持ってやってたんですが、原宿ではポップな志向になって、少し自分の中でズレを感じたんです。「これから10年、20年続けていくのかな」って思った時に違和感があったので、それから自分でやろうと思いました。そして、今年(2017年)1月から自分のブランドを始めたんです。
幼き日の記憶、子育て…湘南・葉山での暮らしを選んだ理由とは。
――そうしたキャリアを経て、湘南・葉山を選んだ理由を教えてください。
ニコラさん:
私の父は庭が大好きで、リヨンの家はここ(現在の住まい)の10倍ぐらい広かったんですよ。そこで父は野菜とか果物を、母はハーブやお花を育てていたので、お買い物に行く必要がなかったんです。収穫した果物で母がジャムを作ったり、野菜でラタトゥイユを作ったりして。
母は10人兄弟でした。私の祖母は早くに亡くなったので、上の兄弟は仕事をして、母はお料理担当でした。毎日朝、昼、晩のお食事を作っていたので……1日30食ですか(笑)。だから母はなんでも作れるし、それがきっかけでお料理を好きになったんだと思うんですよね。
うちは3人兄弟で暮らしてたんですけど、「必ず家族で作ろう」っていう母の強い思いがあったので、学校の宿題がなければ、父も一緒に母の料理のお手伝いをしていました。そういう思い出があったので、「いつか自分にも子どもができたらそういう生活がしたいな」と思っていたんです。
ニコラさん:
私の妻が葉山出身で、実家は御用邸の近くにありました。前は横浜のアパートに住んでいたんですが、結婚して9年が経った頃に家を建てることになって、ここ(自宅がある場所)を見せてくれたんです。山の上の不便なところなので、家族はみんな反対でした。でも、私の実家はもっと不便なところだったんですよね。スクールバスぐらいしか通らなかったですから(笑)。
だから私自身はぜんぜん大丈夫でした。逆に、子どもたちにとってはいい環境だなと思ったんです。みんな最初は大反対だったけど、結局は「ここに住んでよかった〜」ってみんな大喜び(笑)。絶対こうなる、って私は信じてましたけどね。子どもは庭で遊び回ってるし、夏休みは海に出て行って。長男は小学4年生なんですが、スキューバダイビングがしたいって言ってるんです。
「むしろ『葉山に来てください』って言ってます(笑)」
ニコラさん:
自分のブランドを立ち上げることは銀座のお店が出来る前から考えていたんですが、その時はお店のほうを優先しました。それから独立することになったので、地産地消をテーマに「ニコラフーズ」としての活動を始めることにしたんです。地域の農家さんと連携して、野菜や卵を使っています。
実は、いくつかのカフェでメニューをプロデュースしています。葉山でお店を始めたい人はたくさんいるし、おいしいお店もあったんですが、いろいろな事情でなかなか定着しないんです。昔からあるお店は残っていけるけど、新しいお店はそれが難しくて。
ニコラさん:
今年(2017年)4月にオープンした「風早茶房」もそのひとつで、ここのオーナーさんは、私が鶴ヶ峰でやってるお料理教室の生徒さんの先輩なんです。オーナーさんの叔父さんの家が空き家になってしまって、それを活かそうと東京の仕事を辞めてお店を始めたんだそうです。でも、もともとエンジニアだったので飲食店のことはぜんぜん分からなかったんですね。
それで、お料理教室の生徒さんが「そこのお店のメニューをプロデュースしてもらえたら」っていうふうに紹介されたので、会いに行ったんですよ。私は古民家のリフォーム物件が好きで、(「風早茶房」のことが)すごく気になってたので、自分の料理がこのお店で提供されたら素敵だな……って思ったんです。なので、「やりましょう」と。
ニコラさん:
今も週3日でタルトを出してますし、ラタトゥイユや逗子のアカモクを使ったピザの作り方もオーナーさんにレクチャーしたんです。それで出したらすぐに人気になって。「常連さんもどんどん増えました」っていう話を聞けて、すごく嬉しいんです。こういう取り組みがうまくいけば、どんどん広がっていってお互いにいいことが多いし、葉山という地域も知ってもらえますからね。
私自身、東京からもたくさんお誘いをいただくんですが、むしろ「葉山に来てください」って言ってます(笑)。東京ではやらないから葉山に来てくださいね、っていう意味です。葉山という地域の役に立ちたくて。
フランス・リヨン郊外から葉山へ。生まれたときからこの街に暮らしているかのように、ニコラさんは湘南のゆったりとしたムードを身にまとった、人としてのあたたかさに溢れた方でした。青い瞳の奥に秘められた葉山に対する愛情と情熱は、彼が得意とする料理を通じて、これからも人々に伝わっていくことでしょう。
そして、2018年1月にはいよいよ「ニコラ&ハーブ」葉山本店をオープンするとのこと。ニコラさんの葉山に対する想いに溢れた品々を、みなさまもぜひ味わってみてはいかがでしょうか?
湘南で暮らす人々
都心から電車で1時間と、遠いようで実は近くにある海辺の街。豊かな自然に囲まれて過ごす人々の表情もまた、おなじように豊かです。
本コラム『湘南で暮らす人々』では、この地で生活を営む人々にフォーカス。「やっぱりこの街が好きだ」というみなさん、そして「いつかはここで……」と憧れを持つみなさんと一緒に、多彩なライフスタイルを覗いていきたいと思います。
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